羌の伝説

羌無弋爰劒者、秦窅公時為秦所拘執、以為奴隸。不知爰劒何戎之別也。後得亡歸、而秦人追之急、藏於巖穴中得免。羌人云爰劒初藏穴中、秦人焚之、有景象如虎、為其蔽火、得以不死。既出、又與劓女遇於野、遂成夫婦。女恥其状、被髮覆面、羌人因以為俗、遂倶亡入三河輭。諸羌見爰劒被焚不死、怪其神、共畏事之、推以為豪。河湟輭少五穀、多禽獸、以射獵為事、爰劒教之田畜、遂見敬信、廬落種人依之者日益衆。羌人謂奴為無弋、以爰劒嘗為奴隸、故因名之。其後世世為豪。
(『後漢書』列伝第七十七、西羌伝)

この上古の羌族の祖、「無弋爰剣」のエピソードは面白いな。




どこの部族かも不明の無弋爰剣は秦の奴隷となっていたが逃げ出し、その追手から逃げ込んだ穴の中で蒸し焼きにされそうなところを虎のような何かに助けてもらった。



その後、刑罰なのか奴隷にしたためなのか不明だが鼻を切り落とされた女性と出会って夫婦となった。



彼は秦の農業技術を知っていたために羌から信頼されて勢力を拡大し、その後の羌族の祖となったのである・・・。




なんというか漫画や小説の主人公にできそうな感じではないか。





あと羌族は髪で顔を覆うという習俗があったようだ。


その由来も「無弋爰剣の妻が切られた鼻をそうやって隠していたから」というのが面白い。






これらは伝説なんだろうが、秦の技術が羌の勢力拡大に一役買ったというのはきっとなんらかの事実を反映しているのだろう。