二代目は実力行使がお好き

而(劉)蒅不自寧、嘗與琅邪人諸葛亮謀自安之術。亮初不對。後乃共升高樓、因令去梯、謂亮曰「今日上不至天、下不至地、言出子口而入吾耳、可以言未?」亮曰「君不見申生在内而危、重耳居外而安乎?」蒅意感悟、陰規出計。會表將江夏太守黄祖為孫權所殺、蒅遂求代其任。
(『後漢書』列伝第六十四下、劉表伝)

この話を見て思うのは、やっぱ劉蒅ってかなりアグレッシブだな、ということだ。





春秋時代の重耳が一旦は国を離れて亡命生活を強いられ、長い時を経てそれまでの晋の君主を追い出して新たな晋の主となったことはここでの共通認識だったのだと思うが、劉蒅はそれに自分を重ねあわせた献策を良しとしている。




つまり、彼は実力行使で劉表の後を継ぐことも辞さない、そんなような認識でいたということなのだと思う。




そのことは、劉表の葬式にはせ参じることを口実に反乱を起こそうとまで企んだという記事からも伺える。





単なる劉備の傀儡というわけではなかったのかもしれないなあ、この人。


その辺はちょっと確認のしようがなさそうだけど。