刀剣産地

按、呉越春秋楚王令風胡子請請呉干將・越歐冶作劍二、其一曰龍泉*1、二曰太阿。又太康地記曰「汝南西平有龍泉水、可以淬刀劍、特堅利、故有龍泉之劍、楚之寶劍也。以特堅利、故有堅白之論云『黄、所以為堅也。白、所以為利也。』齊辨之曰『白、所以為不堅。黄、所以為不利也。』故天下之寶劍韓為衆、一曰棠谿、二曰墨陽、三曰合伯、四曰訒師、五曰宛馮、六曰龍泉、七曰太阿、八曰莫邪、九曰干將也」。然干將・莫邪匠名也、其劍皆出西平縣、今有鐵官令一、別領戸、是古鑄劍之地也。
(『史記』巻六十九、蘇秦列伝注『史記索隠』)

戦国時代、汝南には龍淵水とかいう刀剣の焼き入れに適した泉があり、名剣の産地となっていたのだそうな。



有名な「干将」「莫邪」もここの産なんだとか。






そういえば地域は違うけど漢の高祖の斬白蛇剣(霊金内府)ものちの予州管轄内で作られたものだな。



予州のあたりは全体的に戦国時代以来の剣の名産地だったのかもな。



アレか、ドイツのゾーリンゲンだかぞう人間だかって土地みたいな感じか。





*1:唐の『史記索隠』の記事であるため避諱されており、『史記』本文では「龍淵」と書かれている。