ツンデレお兄さん

魏略曰、初(曹)植未到關、自念有過、宜當謝帝。乃留其從官著關東、單將両三人微行、入見清河長公主、欲因主謝。 而關吏以聞、帝使人逆之、不得見。太后以為自殺也、對帝泣。會植科頭負鈇鑕、徒跣詣闕下、帝及太后乃喜。及見之、帝猶嚴顔色、不與語、又不使冠履。植伏地泣涕、太后為不樂。詔乃聽復王服。
(『三国志』巻十九、陳思王植伝注引『魏略』)

曹植が雍丘王となった後のこと、とされているが、曹植は以前に「植醉酒悖慢、劫脅使者」という罪で爵位を削られていたが、曹植は兄であり皇帝である曹丕に謝罪しようと思い、お付きの者を置いて密かに清河長公主曹植らの姉妹)に会いに行って曹丕にとりなしてもらおうとした。



そのことを知った曹丕曹植を迎えに行かせたが捕捉できず、母親の卞太后曹植が自殺したのではないかと思い曹丕に対して泣く毎日であった。




だが曹植は冠を付けず、処刑用の斧を背負い、裸足になって宮殿の門前に出現した。



つまり、「罪人である自分の首を切ってくれ」というアピールである。




曹植が生きていたと分かった母と曹丕は喜び、彼と面会した。




曹丕は厳しい顔をして会話せず、冠や靴を履いてよいと命令もしなかったが、曹植が土下座して泣いて謝り、母がそれを見て辛そうにしているのを見て、服装を戻すようにと命じたのであった。






曹丕曹植は公式にはこの処刑アピール面会によって和解した、ということなのだろうか。





曹植が自殺していなかったということを母と一緒に喜んだという曹丕は、見様によってはとんだツンデレ野郎という解釈もできないこともなかろう(せやろか?)。