淫祀

夏四月丁巳、壞諸淫祀。
(『後漢紀』孝桓皇帝紀下、延熹八年)

後漢桓帝の時、桓帝は神仙趣味で老子を祀ったりする一方で、「淫祀」すなわち祭祀するべきではない対象への祭祀を破棄させたという。




後漢末の「淫祀」の廃絶というと曹操城陽景王祀や王朗の始皇帝像の話などが有名だが、もしかしたらそれは曹操らのオリジナルではなく、漢王朝が公認して太守たちに推奨していたことだったのだろうか。