公子

襃魯節侯公子𥶡
以周公世魯頃公玄孫之玄孫奉周祀侯、二千戸。
(元始)六月丙午封、薨。
十一月、侯相如嗣、更姓公孫氏、後更為姫氏。
(『漢書』巻十八、外戚恩沢侯表)


漢の平帝の時(すなわち王莽の時)に周代の魯公の末裔ということで列侯に封じられた者は「公子」という姓であった。



登堂坐定、(雋)不疑據地曰「竊伏海瀕、聞暴公子威名舊矣、今乃承顏接辭。凡為吏、太剛則折、太柔則廢、威行施之以恩、然後樹功揚名、永終天祿。」
【注】
公子、(暴)勝之字也。
(『漢書』巻七十一、雋不疑伝)

漢の武帝の時の暴勝之の字は「公子」であった。





つまり、暴勝之が何らかの事情で公子氏を継ぐことになったら「公子公子」と呼ばれることになったのである!*1

*1:もちろん、万一そんなことになったら字を変更すると思う。