夫婦間の修羅場

朱買臣字翁子、呉人也。家貧、好讀書、不治産業、常艾薪樵、賣以給食、擔束薪、行且誦書。其妻亦負戴相隨、數止買臣毋歌嘔道中。買臣愈益疾歌、妻羞之、求去。買臣笑曰「我年五十當富貴、今已四十餘矣。女苦日久、待我富貴報女功。」妻恚怒曰「如公等、終餓死溝中耳、何能富貴?」買臣不能留、即聽去。其後、買臣獨行歌道中、負薪墓間。故妻與夫家倶上冢、見買臣饑寒、呼飯飲之。
(『漢書』巻六十四上、朱買臣伝)


昨日の話に出てきた朱買臣とその妻の話について。




朱買臣は貧しいが学問はあり、妻と共に薪を売って生活していた。


だが薪売りの最中に歌を歌っているのを妻が恥ずかしがって止めると、夫朱買臣はますます激しく歌うようになるという畜生ぶりを発揮。


耐えられなくなった妻は夫に三下り半を突き付ける。


夫は「私は五十歳になったら富貴な身分になる。まだ四十歳ほどではないか。今はお前にも苦労させているが、私が富貴となってお前の功績に報いるのを待ってはくれんか」と言うと、「お前さんは最後には餓死するような人間ではないか、どうして富貴な身分になれようか?」と怒り、ついに離婚してしまった。


その後もうだつの上がらない夫朱買臣に対し、元妻は新しい夫と共に食事を恵んでやることもあったという。



どう考えても妻が離婚するのも当然という感じしかしない。



とはいえ、元夫としては、まあ中々にプライドズタズタな話ではある。









そして時は流れ、朱買臣は漢の武帝の寵臣の一人となり、本当に富貴な身分となった。



彼は会稽太守となって故郷に錦を飾り、調子に乗りまくる。


入呉界、見其故妻・妻夫治道。買臣駐車、呼令後車載其夫妻、到太守舍、置園中、給食之。居一月、妻自經死、買臣乞其夫錢、令葬。
(『漢書』巻六十四上、朱買臣伝)

そんな中で元妻とその夫を見つけた会稽太守様は、その二人を太守の屋敷に招いて食事を与えてやった。


そうしてひと月後、元妻は自殺してしまったという。




おそらく、その一か月間、朱買臣はネチネチと昔のことをほじくりかえして当時の仕返しをしたんだろうし、当時の太守は本当に選ばれた人間しかなれない殿上人であるから、元妻本人や周囲も「離婚さえしていなければ自分たちも恩恵に与れたのに」みたいな思いがあり、いたたまれなかったというのもあるのだろう。






現代だったら、まあ「自分を捨てた元妻に再会した結果wwwww」などといったスレが立ちそうな話ではある。