蜀初闕三司之位、以待天下賢人。
(『華陽国志』劉後主志)
蜀漢は当初「三司」の地位を空位とし、その座にふさわしい天下の賢人を待つことにしていたのだ、という。
三司というと太尉・司徒・司空のいわゆる三公のこと(太尉はかつて大司馬から改称された)なので、蜀漢は宰相の地位を空けていたのだ、ということになる。
劉備が皇帝になった時に諸葛亮を丞相、許靖を司徒にしているので、残る太尉や司空を空位にしていたということなのだろうか。
それとも、劉備が漢中王になった時に丞相や三公といった宰相を置かなかった(少なくとも史書で確認できない)ことを言っているのだろうか。
なんとなくだが、後者の時のことのような気がする。