安楽公国

燕國、漢置、孝昭改為廣陽郡。統縣十、戸二萬九千。

安次、侯相。
昌平
軍都、有關。
廣陽

安樂、國相。蜀主劉禪封此縣公。
泉州、侯相。
雍奴
狐奴
(『晋書』巻十四、地理志上、幽州、燕国)

劉禅が降伏後に得た「安楽公国」は幽州にあったのだという。



劉備の故郷の近くというのが考慮されたのか、「安楽」という地名を選んだらここになっただけなのか。それはわからない。




北巫縣、安樂郷、咸熙元年為公國、封劉後主也。
(『華陽国志』漢中志、上庸郡)

だがその一方、『華陽国志』によると、劉禅が安楽公に封じられる咸熙元年、上庸郡の北巫県にある安楽郷を「安楽公国」とし、そこを劉禅の国としたという。



いったいどちらが劉禅の国だったのか。





この二つの記事は一見すると矛盾しているように思えるし、実際にどちらか(ことによるとどちらも)誤りである可能性はある。




しかし、燕国の方の安楽公国の記事には「いつ」という部分が書いていないので、当初は上庸郡の方の安楽公国を与えられたが、どこかの段階で燕国の方の安楽公国に転封になった、と考えることもできるだろう。




結論としてははっきりしたことはわからない。