教祖陳瑞

咸寧三年春、刺史(王)濬誅犍為民陳瑞。
瑞初以鬼道惑民。其道始用酒一斗、魚一頭、不奉他神。貴鮮潔。其死喪・産乳者不百日不得至道治。其為師者曰祭酒。父母妻子之喪不得撫殯入弔、及問乳病者。轉奢靡、作朱衣・素帯・朱幘・進賢冠。瑞自稱天師、徒衆以千百數。
濬聞以為不孝、誅瑞及祭酒袁旌等、焚其傳舍。益州民有奉瑞道者、見官二千石長吏巴郡太守犍為唐定等、皆免官或除名。
(『華陽国志』大同志)

晋による征服後の蜀の犍為のあたりで、陳瑞という人物が起こした新興宗教が流行していたらしい。




陳瑞の教えでは酒と魚だけを供えて清潔を特に尊び、葬儀のやり方から異なっていたようで、どうやら親や妻子の葬儀であっても遺体に近づくことを許さなかったということらしい。




益州刺史王濬はそのあたりを不孝と断じて陳瑞や幹部を誅殺し、信奉者の官吏は罷免や追放としたという。






この年は西暦で言うと277年。



蜀漢滅亡から十数年しか経っていないので、陳瑞の教えは蜀漢の頃から既にあったとしても不思議ではないような気もするなあ。