軽州と重州

(太康)三年、更以益・梁州為輕州、刺史乗傳奏事。以蜀多羌夷、置西夷府、以平呉軍司張収為校尉、持節統兵。州別立治。西夷治蜀。各置長史・司馬。
(『華陽国志』大同志)

元康六年、復以梁・益州為重州、遷益州刺史栗凱為梁州、加材官將軍。揚烈將軍趙廞為益州刺史、加折衝將軍。
(『華陽国志』大同志)

少なくとも晋代には、州に「重州」と「軽州」という区別があったらしい。





梁州・益州という蜀の州が「軽州」から「重州」に変更されると共に刺史が将軍位を加増されているところを見ると、「重州」の刺史は将軍位を持つことになっているとか、率いる兵士数が多いとか、なにかそういった違いがあったのだろうか。



ここだけでは断片的すぎて何とも言えないけれど。