社稷の臣2

昨日の記事で「社稷の臣」について「主君よりも天下の民を優先する」といった解釈のようであると書いたが、実はそれと矛盾するような解釈もまた存在していたらしい。



絳侯為丞相、朝罷趨出、意得甚。上禮之恭、常自送之。袁盎進曰「陛下以丞相何如人?」上曰「社稷臣 。」盎曰「絳侯所謂功臣、非社稷臣、社稷臣主在與在、主亡與亡。方呂后時、諸呂用事、擅相王、劉氏不絶如帯。是時絳侯為太尉、主兵柄、弗能正。呂后崩、大臣相與共畔諸呂、太尉主兵、適會其成功、所謂功臣、非社稷臣。丞相如有驕主色。陛下謙讓、臣主失禮、竊為陛下不取也。」後朝、上益莊、丞相益畏。已而絳侯望袁盎曰「吾與而兄善、今兒廷毀我!」盎遂不謝。
(『史記』巻一百一、袁盎鼂錯列伝)

前漢文帝の時、呂后の一族を排除する上で重要な働きをした周勃は文帝からも極めて鄭重な扱いを受けていたが、袁盎なる人物はそれに対してこう進言した。



「丞相周勃は「功臣」ではあっても「社稷の臣」ではございません。「社稷の臣」というのは主君と共にあり、主君が滅べば共に滅びるような存在です。呂后の時代、劉氏の天下が危うくなりながらもそれを正すことが出来ないでいた周勃は「社稷の臣」ではないのです。そんな者に対して謙譲するというのはよろしくありません」



袁盎によれば「社稷の臣」とは主君と共に生き主君と共に死するような者であるらしい。





これは昨日の蒙穀の「苟社稷血食、余豈患無君乎!」という言葉とは殆ど対極のように思うのだが・・・。




しかしこれはもしかするとだが、臣下の側からの解釈と主君の側からの解釈という立場の違いがあるのかもしれない。



臣下の側からすれば、「国を守れないような失格君主に付き合う必要は無い。民を優先すべき」という考えが出てくるのだろうが、主君の側からすると、そもそも「国を守れない失格君主」などということを想定しないだろう。自分の側が失敗するということなのだから。


主君の側からすれば君主は正しいことが前提となるので、君主の危機は国そのものの危機、民にとっても危機であるのだろうから、君主を徹頭徹尾守り盛り立てるのが正解ということになる・・・のかも。