銅馬

(馬)援好騎、善別名馬、於交阯得駱越銅鼓、乃鑄為馬式、還上之。因表曰「・・・(中略)・・・孝武皇帝時、善相馬者東門京鑄作銅馬法獻之、有詔立馬於魯班門外、則更名魯班門曰金馬門。・・・(中略)・・・」馬高三尺五寸、圍四尺五寸。有詔置於宣徳殿下、以為名馬式焉。
(『後漢書』列伝第十四、馬援伝)

後漢の馬援は馬鑑定の専門家であったそうだ。




彼は銅製の馬の模型を作り、名馬を見分けるためのモデルとしたのだそうだ。





これは馬援オリジナルではなく、前漢で既にやられていたことらしい。



東門京という武帝時代の人物が作った銅製の馬が長安の門の外に置かれていて、その門を「金馬門」と呼んだそうな。








なお董卓が銅銭鋳造の材料にしたものの中に「銅馬」があるが、これは長安の東門京の銅馬や洛陽の馬援の銅馬のことなのだろう。





馬鑑定を重要視する文化は圧倒的なマテリアル不足の前ではただの資源という諸行無常