関羽、暗殺計画の理由

蜀記曰、初、劉備在許、與曹公共獵。獵中、衆散、(関)羽勸備殺公、備不從。及在夏口、飄颻江渚、羽怒曰「往日獵中、若從羽言、可無今日之困。」備曰「是時亦為國家惜之耳。若天道輔正、安知此不為福邪!」
(『三国志』巻三十六、関羽伝注引『蜀記』)

曹操に追われて夏口へたどり着いた劉備に対し、関羽は「昔、猟の最中に私の勧めたように曹操を殺しておけばこのようなことにはならなかったのに!」と怒った。



初、曹公壮(関)羽為人、而察其心神無久留之意、謂張遼曰「卿試以情問之。」既而遼以問羽、羽歎曰「吾極知曹公待我厚、然吾受劉將軍厚恩、誓以共死、不可背之。吾終不留、吾要當立效以報曹公乃去。」遼以羽言報曹公、曹公義之。
(『三国志』巻三十六、関羽伝)

曹操は自分に降伏した関羽を厚遇したが、関羽は自分の元へ長く留まる気配がなかった。そこで張遼に本心を尋ねさせてみたところ、「私は曹公が厚遇してくれていることはわかっているが、劉将軍(劉備)に大きな恩を受けて共に死ぬ誓いを立てており、背くことなどできない。私はここに留まることはできないが、功を立てて曹公の恩に報いてから去らねばならない」と言ったという。





さて、これらの話は『華陽国志』ではどうなっているだろうか・・・。


(曹)公壮(関)羽勇鋭拜偏將軍。初、羽隨先主從公圍呂布於濮陽、時秦宜祿為布求救於張楊。羽啟公「妻無子、下城、乞納宜祿妻。」公許之。及至城門、復白。公疑其有色、自納之。後先主與公獵、羽欲於獵中殺公。先主為天下惜、不聽。故羽常懐懼。公察其神不安、使將軍張遼以情問之。羽歎曰「吾極知曹公待我厚。然吾受劉將軍恩、誓以共死、不可背之。要當立效以報曹公。」公聞而義之。
(『華陽国志』劉先主志)


?!




関羽はかつて呂布の将であった秦宜禄の妻を自分の側室に望んだが、曹操関羽が何度も望むという彼女が気になって自分のものにしてしまった。



その後、関羽曹操を猟の最中に暗殺しようとしたが、劉備は天下のために惜しんで許さなかった。



そのため、関羽曹操に対して恐れを抱いていたのであった。




関羽曹操に降伏してから、曹操関羽の精神状態が普通では無い事を察知し、そこで張遼に本心を尋ねさせてみたところ、「私は曹公が厚遇してくれていることはわかっているが、劉将軍(劉備)に大きな恩を受けて共に死ぬ誓いを立てており、背くことなどできない。私はここに留まることはできないが、功を立てて曹公の恩に報いてから去らねばならない」と言ったという。







有名な「秦宜禄の妻」の件を上記の二つのエピソードに噛ませることによって、『三国志』や後世の『三国演義』などとは全く印象が違う関羽像が誕生しているではないか。




『華陽国志』における関羽像は、義理堅くはあるが、曹操に美女を取られると曹操の暗殺を図り、しかもそのようなことを企てたことを察知されてはいないかと心配になる、そんな人物ということになるのだろうか。





もっとも、『蜀記』などの諸書も全文を見ているわけではないので、同じような人物像を共有していた可能性もあるかもしれないが。