安陽王とミサイル兵器

南越志、交趾之地、最為膏腴。舊有君長曰雄王、其佐曰雄侯。後蜀王將兵三萬討雄王、滅之。蜀以其子為安陽王、治交趾。其國地、在今平道縣東。其城九重、周九里、士庶蕃阜。尉佗在番禺、遣兵攻之。王有神弩、一發殺越軍萬人、趙佗乃與之和、仍以其子始為質。安陽王以媚珠妻之、子始得弩毀之。越兵至、乃殺 安陽王、兼其地。
(『旧唐書』巻四十一、地理志四、嶺南道、安南府)

遥か昔、南越の地には安陽王というのがいて、かの南越王趙佗(尉佗)と戦って滅ぼされたらしい。




ここで言う「蜀王」とは、秦によって征服される前の蜀の君主のことだろうか?



だとすれば、蜀が秦に併合されて以降も、蜀から派生した安陽王は中原で漢王朝が生まれた頃まで生き残っていたということになる。





それにしても一撃で数万を殺す弩ってどんな大量破壊兵器だろうか。