類は友を呼ぶか

魏略曰、婁圭字子伯、少與太祖有舊。
(『三国志』巻十二、崔琰伝注引『魏略』)

呉書曰、子伯少有猛志、嘗歎息曰「男兒居世、會當得數萬兵千匹騎著後耳!」儕輩笑之。後坐藏亡命、被繫當死、得踰獄出、捕者追之急、子伯乃變衣服如助捕者、吏不能覺、遂以得免。會天下義兵起、子伯亦合眾與劉表相依。後歸曹公、遂為所用、軍國大計常與焉。
(『三国志』巻十二、崔琰伝注引『呉書』)

婁圭(子伯)は曹操と若い頃からの知り合いだったという。




そんな彼は「男子たる者、数万の兵や千騎を後ろに従えるようでなくてはいかんのだ」と嘯くようなヤツで、あるとき贈収賄事件に関与して逃亡、逮捕されて死罪になりそうになったが脱獄してまんまと逃げおおせたという。





ちなみに『三国志』該当部分で婁圭と並んで名前が書かれているのは、皇帝廃立を企んで若き日の曹操にも声をかけた一味とされる許攸。




曹操の若い頃の知り合いってなんかこういうタイプ多くない?気のせいかもしれないけど。



朝廷全体が一目置くような大宦官の孫、最終的に三公にまで至る高官の子、そして本人も若くしてエリートコースに乗る官僚のはずなのに、どうも反社会的な友人が目立つような・・・?