上将軍の存在感

更始敗、三水豪傑共計議、以(盧)芳劉氏子孫、宜承宗廟、乃共立芳為上將軍・西平王、使使與西羌・匈奴結和親。
(『後漢書』列伝第二、盧芳伝)

新末・後漢初期にかけて漢の武帝の子孫劉文伯を名乗っていた盧芳は、安定郡において「彼は劉氏であり漢の宗廟を受け継ぐべき人物である」とされて「上将軍」「西平王」に立てられたという。




「上将軍」というのは王にも並ぶ特別な地位だったということか。






以前も記事にしたことがある(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20101204/1291389835)が、やはりこの時代あたりでは「上将軍」というのは何かこうヴェルタースオリジナル並に特別な存在になっていたということなのだろうか。