司馬兄弟の危機

世語及魏氏春秋並云、此秋、姜維寇隴右。時安東將軍司馬文王鎮許昌、徴還撃維、至京師、帝於平樂觀以
臨軍過。中領軍許允與左右小臣謀、因文王辭殺之、勒其衆以退大將軍。已書詔于前。文王入、帝方食栗、優人雲午等唱曰「青頭雞、青頭雞。」青頭雞者、鴨也。帝懼不敢發。文王引兵入城、景王因是謀廢帝。
(『三国志』巻四、斉王芳紀、嘉平六年、注)

魏で司馬師時代に皇帝斉王芳が廃位されるきっかけ。




皇帝と中領軍許允らが、皇帝のもとへやってきた司馬昭を理由を付けて殺し、司馬昭の率いていた兵を奪って司馬師を退けよう、と企み、そのための詔まで準備していたという。




しかし司馬昭がやってきた時、皇帝は栗を食べていたが、道化の連中が「青頭鷄(鴨)」と合唱するのを聞き、恐れをなしてその企みを取りやめたのだという。




その顛末が司馬師らに漏れ伝わったらしく、司馬師は皇帝の廃位を考えるようになった、ということである。






「栗」「鴨」が音通か何かになっているのではないかと思うが、今のところどうして皇帝が恐れをなしたのかよくわからない。



わかったらまた記事にしよう。