イクメン

(王濬)除巴郡太守。郡邊呉境、兵士苦役、生男多不養。濬乃嚴其科條、𥶡其傜課、其産育者皆與休復、所全活者數千人。
(『晋書』巻四十二、王濬伝)


魏から晋に禅譲された後の事。




王濬(呉攻めで益州から水軍で攻めた人)が巴郡太守となったが、当時の巴郡は呉の境界にあったため、兵役・徭役の負担が重かった。



あまりの苦しさから、民の間では兵士となる男子が生まれても育てないということが続発するほどであったという。


つまり、男なら育てても兵役や徭役の負担が増すばかりだ、なら生まれても育てなければいいじゃない、ということなのだろう。





王濬はそこで男子を取り上げないことに対する罰則を厳しくする一方で、賦役の負担を緩め、子供を育てる者には賦役の免除を与えるようにした。


それによって何千人もの子供が死なずに育てられるようになった、ということである。






これは一種の育休制度なのだろうか?




少子化に悩む国は、この千数百年前の政治に学んでもいいのかもしれない。