張良の最後

留侯(張良)乃稱曰「家世相韓、及韓滅、不愛萬金之資、為韓報讎彊秦、天下振動。今以三寸舌為帝者師、封萬戸、位列侯、此布衣之極、於良足矣。願弃人輭事、欲從赤松子游耳。」乃學辟穀、道引輕身。會高帝崩、呂后徳留侯、乃彊食之、曰「人生一世輭、如白駒過隙、何至自苦如此乎!」留侯不得已、彊聽而食。
(『史記』巻五十五、留侯世家)

かの漢の三傑の一人張良




彼は功成り名遂げられた後、仙人になろうとして穀物を食するのを止めたという。



だが彼を恩人と思う呂后は、このままでは張良が餓死してしまうと思い、無理に普通の食事を取らせた。





昔留侯張良、吐出奇策、一代無有、智慮所及、非淺近人也、而猶謂不死可得者也、其聰明智用、非皆不逮世人、而曰吾將棄人間之事以從赤松游耳、遂修道引、絶穀一年、規輕舉之道、坐呂后逼蹴、從求安太子之計、良不得已、為畫致四皓之策、果如其言、呂后徳之、而逼令強食之、故令其道不成耳。
按孔安國秘記云、良得黄石公不死之法、不但兵法而已。又云、良本師四皓、甪里先生・綺里季之徒、皆仙人也、良悉從受其神方、雖為呂后所強飲食、尋復修行仙道、密自度世、但世人不知、故云其死耳。如孔安國之言、則良為得仙也。
(『抱朴子』内篇、至理)

これは『抱朴子』の仙人的視点からすると、呂后によって仙人になるのを邪魔されたということになるらしい。



だが、実際には張良呂后に中断された後も仙人修行を再開しており、最終的には仙人になることを成功させている、という伝承があったのだそうだ。