クーデターのお誘い

(張)玄字處虚。沈深有才略、以時亂不仕。司空張温數以禮辟、不能致。
中平二年、温以車騎將軍出征涼州賊邊章等、將行、玄自田廬被褐帯索、要説温曰「天下寇賊雲起、豈不以黄門常侍無道故乎?聞中貴人公卿已下當出祖道於平樂觀、明公總天下威重、握六師之要、若於中坐酒酣、鳴金鼓、整行陣、召軍正執有罪者誅之、引兵還屯都亭、以次翦除中官、解天下之倒縣、報海内之怨毒、然後顯用隱逸忠正之士、則邊章之徒宛轉股掌之上矣。」温聞大震、不能對、良久謂玄曰「處虚、非不悦子之言、顧吾不能行、如何!」玄乃歎曰「事行則為福、不行則為賊。今與公長辭矣。」即仰藥欲飲之。温前執其手曰「子忠於我、我不能用、是吾罪也、子何為當然!且出口入耳之言、誰今知之!」玄遂去、隠居魯陽山中。
(『後漢書』列伝第二十六、張玄伝)

後漢末期の蜀郡成都の張玄は、涼州における辺章らの反乱を鎮圧するために司空張温が軍を率いて出征する際に、張温に対してこんなことを進言しに来たという。



「今は宦官どもが総出で貴方の出陣を見送りに来ていますから、ここで貴方が軍を動かして宦官を軍令で誅殺してしまえば、天下の問題は解決され、恨みを報じることができます。そうすれば辺章の乱もたやすく鎮圧できることでしょう」






完全にクーデターのお誘いなわけであり、張温はブルってできなかったわけだが、思うにこの隠者張玄の言葉は以前見た『潜夫論』で出てきた「辺境が反乱するのはどう考えても政府が悪い」論に通じるものがある。



安易に宦官にすべての問題の責任を押し付けている面も否定できないだろうが、「宦官さえ37564にすれば漢王朝は上手く回る」と考えたくなるくらい、宦官が糸を引いていた当時の辺境統治や辺境政策に対して不満が高まっていたという面もあったに違いない。