純質

惠帝之為太子也、朝臣咸謂純質不能親政事。
(『晋書』巻三十六、衛瓘伝)

かの有名な晋の恵帝は皇太子時代に朝臣皆から「太子は純朴で飾り気のないお人柄ですので、自ら政治を執ることはできないのではありますまいか」と言われていた。



帝之為太子也、朝廷咸知不堪政事、武帝亦疑焉。嘗悉召東宮官屬、使以尚書事令太子決之、帝不能對。賈妃遣左右代對、多引古義。給事張泓曰「太子不學、陛下所知。今宜以事斷、不可引書。」妃從之。泓乃具草、令帝書之。武帝覽而大悦、太子遂安。
(『晋書』巻四、孝恵帝紀

恵帝は父から皇帝の文書決裁をやってみろと言われたができず、妻の賈氏(のちの賈皇后)が側近に代わりにさせようとしたが、側近はそこで故事の引用などをふんだんに使っていた。



これに対し「太子に学が無い事は陛下も知っているので、そういった引用をしてはバレてしまいます」と忠告する者がいた。






つまるところ、朝臣が言っていた「純質」とは、「学問が出来ず自らを飾る術を持たない」ということを最大限にポジティブに表現した言葉ということらしい。






相手が権力者ともなると、勉強できない、政治どころじゃない、ということを伝えるにもとてつもなく婉曲に言わなくてはならないというのはきっと今も昔も変わらないのだろう。