伏皇后の子

(荀)紣曰「伏后無子、性又凶邪、往常與父書、言辭醜惡、可因此廢也。」
(『三国志』巻十、荀紣伝注引『献帝春秋』)

ここで引用する『献帝春秋』の一節で、荀紣は「伏皇后には子が無い上に性格もろくでもない。廃位しましょう」となかなか踏み込んだ事を曹操相手に述べている。




あれ?昨日の記事はどうなるの?伏皇后の皇子は?







裴松之先生激おこの『献帝春秋』が間違っているだけだろ、と言ってしまえばそれまでなのだが、それを抜きにしてもこういう仮説も成り立つだろう。

王昭儀生趙王幹。
(『三国志』巻二十、武文世王公伝)

魏略曰、(趙王)幹一名良。良本陳妾子、良生而陳氏死、太祖令王夫人養之。
(『三国志』巻二十、趙王幹伝注引『魏略』)

曹操の息子の一人趙王曹幹は、元は妾の陳氏の子であったが、実母陳氏は曹幹が生まれてすぐ死んでしまった。


そこで、曹操は王夫人(昭儀)に彼の養育を命じたという。



そして、『三国志』では養母であるところの王氏が生んだ子として記録されているのである。





伏皇后の場合も、実母は別にいたが伏皇后が養育し、実母と同じように扱われていたということかもしれない。




つまり上の記事の荀紣は伏皇后に実子がいないことを述べており、一方伏皇后の皇子とは伏皇后が養母となって育て、実子と同じように扱われた皇子のことを述べていると解釈すれば、『献帝春秋』と『後漢書』は矛盾しないのである。