『潜夫論』を読んでみよう−辺議篇その5

『詩』痛「或不知叫號、或慘慘劬勞。」今公卿苟以己不被傷、故競割國家之地以與敵、殺主上之民以邛羌。為謀若此、未可謂知。為臣若此、未可謂忠、才智未足使議。
且凡四海之内者、聖人之所以遺子孫也。官位職事者、群臣之所以寄其身也。傳子孫者、思安萬世。寄其身者、各取一闋。故常其言不久行、其業不可久厭。夫此誠明君之所微察也、而聖主之所獨斷。
(『潜夫論』辺議第二十三)



詩経』では「ある者は徴発されることを知らず、ある者は労役に苦しんでいる」ことを痛んでいる。




しかし今、宰相・大臣たちは自分たちが被害を蒙らないからといって競って陛下の土地を敵に与え、陛下の民を殺して羌に食わせている。


このような謀しかできないならば智者とは言えないし、臣下としてこのようなことしかしないのであれば忠義者とは言えない。議論させるに値しない者どもである。




また四海の内というのは聖人が子孫に受け継ぐところであり、官職というのは群臣が身を寄せるところである。

子孫に受け継ぐというのは、とこしえに安んずることを思えばこそである。身を寄せるというのは、それぞれ一つの任務を任せるからである。


そのため、その言葉はずっと行われるというものではないし、その事業はいつまでも安定しているというものではない。



これは、聡明な君主が僅かな兆しから察して独裁するべき事柄なのである。



王符先生が引用する『詩経』北山は周の幽王の労役が不公平であることを諷刺したものとされている。



つまり、王符先生は「なぜ涼州だけが苦しむのか?なぜ涼州を助けてくれないのか?なぜ涼州を見捨てるのか?」という声にならない叫びをその詩に託したのだろう。





また後半部分で言っているのはつまり、「涼州を羌に与えろなどと言うバカで不忠な連中に任せてはいけない、皇帝自らが涼州を救うことを専断すべきなのだ」ということだろう。





これは、蓋勲が「皇帝陛下は聡明だが宦官が良くない。殺せ」と袁紹に言っていたことと通じる部分があると言えないことも無いだろう。



王符先生にとっては、ある意味では皇帝が最後の希望だったのかもしれない。