おじぃちゃん

魏略曰、(曹)幹一名良。良本陳妾子、良生而陳氏死、太祖令王夫人養之。良年五歳而太祖疾困、遺令語太子曰「此兒三歲亡母、五歳失父、以累汝也。」太子由是親待、隆於諸弟。良年小、常呼文帝為阿翁、帝謂良曰「我、汝兄耳。」文帝又愍其如是、毎為流涕。
(『三国志』巻二十、趙王幹伝注引『魏略』)

曹操は、末子である曹幹(曹良)のことを後継ぎの曹丕に託したといい、曹丕もまた彼の事を他の弟よりも可愛がったのだという。



曹幹はそんな曹丕のことを「阿翁」と呼び、それを聞いた曹丕は「私はお前の兄でしかないんだぞ」と言い、曹幹のことを不憫に思い涙した、という。






では「阿翁」とは何のことなのか。

張憑字長宗。祖鎮、蒼梧太守。憑年數歳、鎮謂其父曰「我不如汝有佳兒。」憑曰「阿翁豈宜以子戲父邪!」
(『晋書』巻七十五、張憑伝)

多少時代が離れるが、この用例(張憑という子供が祖父の張鎮に対し「阿翁」と呼びかけている)からすると、「阿翁」とは「お祖父さん」のことのようでである。



「翁」という字からしてもそう考えるのが一番それらしいのではないだろうか。





ということは、曹幹は兄の曹丕のことを「おじぃちゃん」と呼んでいたということになる。



まだ三十代の曹丕のことを「おじぃちゃん」は突拍子もないと思うかもしれないが、実はそこまででもない。




http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20110406/1302007574の記事などを読んでもらうと分かるが、曹丕の長子であったのではないかと思われる曹協には実子がいたようなのだ*1


つまり曹丕の孫である。


時期的なものを考えると曹幹が物心ついたころには生まれていたということになるのではないかと思われる。




曹丕は孫が生まれてから「お祖父さん」などとその孫本人か周囲から呼ばれていたことがあったのではなかろうか。



曹幹はそれを見て自分も同じだと思い、曹丕を「おじぃちゃん」と呼んだ、というストーリーなのかもしれない。




本当の父を失ったあと、託された親代わりの兄が一番可愛がっていたであろう孫と同じようになりたいと思い、孫が言っていたように兄のことを呼ぼうとした、ということだとしたら、確かに哀しい話ではないか。

*1:うらやまけしからんことだが十代半ばで結婚し着床し出産すれば十分起こり得る。