毒殺バトル

魏文帝忌弟任城王驍壮、因在卞太后閤共圍棋、並噉棗、文帝以毒置諸棗帯中、自選可食者而進、王弗悟、遂雜進之。既中毒、太后索水救之。帝預敕左右毀缾罐、太后徒跣趨井、無以汲。須臾、遂卒。復欲害東阿、太后曰「汝已殺我任城、不得復殺我東阿」
(『世説新語』尤悔第三十三)

あの曹丕様は、弟の任城王曹彰を毒殺した、と言う話がある。



そして、曹植も殺そうと図ったがそれは母が許さなかったと。







だが、いくら皇太后である母がやらせはせんぞと宣言し、常時監視の目を光らせていたとしても、曹丕様は皇帝陛下である。



毒殺や詩を作れなかったら死刑などといった手の込んだことをしなくても、物理的な意味で葬る方法は他にもあったのではなかろうか。




曹彰はサクッと毒殺しておいて、曹植に対してはやけに回りくどい上に失敗続きではないか。



陰謀や策略が得意そうな曹丕様にしてはさえない話である。





だが、これをこの二日間の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140529/1401290470http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140530/1401377183)と照らし合わせて考えてみれば、別の面が見えてくるのではないか。




曹丕様は「七歩で詩を作らないと殺す」と曹植には余裕のお題を出してみたり、曹植自身が望んでいなかったと思われる荊州行きを計略で止めたりと、曹植に対しては実は甘いのである。



とすると、曹彰を毒殺した後に曹植も狙ったというのは、実は「ポーズ」なのだろう。



おそらくは側近などから後継者争いをした曹植を闇に葬るべしという意見が強かったのではないだろうか。


そんな突き上げに対し、曹丕様はその進言に従っているように見せかけつつも曹植を殺さないようにしたのではないだろうか。



だから、「皇太后が見張ってるんじゃできないなー」「七歩以内に詩を作ったんじゃ仕方ないなー」などと、敢えて理由を付けて「殺すのを断念した」という形にしたのだろう。




これこそ兄弟愛ではなかろうか。



三国志』における最も麗しい兄弟愛は、もしかしたら世間では不仲で有名なこの二人の間にあったのかもしれない。






え?曹彰


曹丕様の継承を阻もうとし、同時に望んでいない曹植をかつぎだそうとしたりした張本人だから、皇帝陛下としては殺すしかないということだったのでしょう。

可哀そうな話ではありますが。



曹丕様と曹植を裏切ったのは曹彰の方なんですよ?