消火活動参加せず

魏略曰、(董)遇字季直、性質訥而好學。興平中、關中擾亂、與兄季中依將軍段煨。采稆負販、而常挾持經書、投輭習讀。其兄笑之而遇不改。及建安初、王綱小設、郡舉孝廉、稍遷黄門侍郎。是時、漢帝委政太祖、遇旦夕侍講、為天子所愛信。至二十二年、許中百官矯制、遇雖不與謀、猶被録詣鄴、轉為宂散。
(『三国志』巻第十三、王粛伝注引『魏略』)


後漢末の儒者董遇。


彼は献帝の学問の師を務めていたが、建安二十二年頃に「許の百官が皇帝の命令を偽った事件」のとばっちりを受け、彼自身は関与していなかったのにもかかわらず鄴へ連行されたのだという。






ああ、これはアレだね。「吉本の乱」だ。



乱のときに消火作業に加わったかどうかで曹操が事件への関与を決めつけた件(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20111007/1317915971)から考えると、彼もその時に連行された中に入っていて、彼は消火活動に参加しませんでしたと申し出た側の人間だったんだろう。




それでもどうやら任務を解かれたっぽい(黄門侍郎から冗散になったとしたら皇帝側近から解任されたということではないのか)ので、連行された時点で良くて左遷は免れなかったということなのかもしれない。