曹操の決断

文士傳曰、(丁)廙少有才姿、博學洽聞。初辟公府、建安中為黄門侍郎。廙嘗從容謂太祖曰「臨菑侯天性仁孝、發於自然、而聰明智達、其殆庶幾。至於博學淵識、文章絶倫。當今天下之賢才君子、不問少長、皆願從其游而為之死、實天所以鍾福於大魏、而永授無窮之祚也。」欲以勸動太祖。太祖答曰「植、吾愛之、安能若卿言!吾欲立之為嗣、何如?」廙曰「此國家之所以興衰、天下之所以存亡、非愚劣瑣賤者所敢與及。 廙聞知臣莫若於君、知子莫若於父。至於君不論明闇、父不問賢愚、而能常知其臣子者何?蓋由相知非一事一物、相盡非一旦一夕。況明公加之以聖哲、習之以人子。今發明達之命、吐永安之言、可謂上應天命、下合人心、得之於須臾、垂之於萬世者也。廙不避斧鉞之誅、敢不盡言!」太祖深納之。
(『三国志』巻十九、陳思王植伝注引『文士伝』)

丁廙というヤツは曹操に対して「臨菑侯(曹植)こそ後継ぎにふさわしいですぞ!」と持ちかけ、曹操も「俺が愛する息子は曹植なんだが、アイツを後継ぎにするのはどうだろうな?」と乗ってきた。



丁廙は「さあご主君、今こそ天命にも世論にも合致する決断の一言を!」と煽る。



曹操はこの丁廙の言葉を受け入れた、とされる。






このやりとりはそもそも信憑性が気になるところだが、いつの話であると考えられていたのだろうか。




というのは、この丁廙の煽り方はどうも「既に決まった後継ぎをひっくり返す」ための進言のような気がしてくるからだ。



もちろんこれは誤った推測の可能性も高い。




しかし、これは実は「曹操がいったんその言葉を受け入れつつ結局迷いまくった挙句その進言を捨てて曹丕を選んだ」と取るか、「曹丕を後継ぎにしたことを内心後悔していた曹操はこの進言を受け入れて後継者交代を決心した」と取るかという、曹操観の問題でもあったりする。



曹丕を推す臣下の声に負けるように太子を立てたが、曹操が自らの意思を吐露して曹丕から曹植への交代を決断したシーン、と捉えることもできる、ということだ。