傳書或言、顏淵與孔子倶上魯太山、孔子東南望、呉閶門外有繫白馬。引顏淵指以示之曰「若見呉昌門乎?」顏淵曰「見之」孔子曰「門外何有?」曰「有如繫練之状」孔子撫其目而止之。因與倶下、下而顏淵髮白齒落、遂以病死。蓋以精神不能若孔子、彊力自極、精華竭盡、故早夭死。
(『論衡』書虚第十六)
『論衡』によれば、後漢の頃にこういった話が伝わっていたようだ*1。
かの孔子こと孔丘先生は最愛の弟子顔淵(顔回)と共に泰山に登った。
そこで孔丘先生が呉の方を見ると、その門のところに白馬が繋がれているのが見えたという。
先生は顔淵に「呉の方に何か見えるかね?」と聞いてみた。
すると顔淵は「なんか白い絹のようですね」と答えた。
先生はそこで顔淵がそれ以上見ないようにと目を覆ってやった。
二人が泰山を降りると、顔淵は精根尽き果てて白髪の老人のようになってしまい、そのまま病んで死んでしまったのであった。
つまり、孔丘先生には千里眼的な能力が備わっていた。
顔淵もその能力が使えたが先生には及ばず、しかもその能力をちょっと使っただけで衰弱死してしまう貧弱な能力者であった、ということのようだ。
たぶん、この二人は大脳基底核と視床下部をちょッぴりいじられていたんじゃなかろうか。
*1:なお『論衡』ではこの話を否定している。