姪>>>実子

更始時、天下亂、(劉)平弟仲為賊所殺。其後賊復忽然而至、平扶侍其母、奔走逃難。仲遺腹女始一歳、平抱仲女而弃其子。母欲還取之、平不聽、曰「力不能両活、仲不可以絶類。」遂去不顧、與母倶匿野澤中。
(『後漢書』列伝第二十九、劉平伝)

王莽期から後漢初期にかけての人、劉平。



彼の弟劉仲は賊に殺されてしまっていたが、劉仲には遺児が一人(娘)がいた。



その後、劉平とその母も賊の襲来から逃げ出すこととなったが、その時に劉平は劉仲の娘を抱きかかえ、自分の子は捨て置いていこうとした。


母は劉平の子も連れて行こうと思ったが、劉平はそれを止めて言った。



「二人とも助けることができないのなら、仲の子孫を絶やすわけにはいきません」



かくして劉平は自分の子を捨て、母および弟の娘と共に賊から逃げたのだった。





たぶん、自分の子はまた生むこともできるが、既に死んでいる弟の祭祀を守るべき子孫はその娘しかいない、という視点で考えているのだと思われる。


妻が発言小町あたりに「夫が何かにつけて自分の息子よりも亡くなった義弟の娘を優先しています」なんてトピを立てたら炎上必至という気がするが、当時の感覚ではこれは徳行なのだろう。





魏略曰、時兗・豫大亂、(夏侯)淵以饑乏、棄其幼子、而活亡弟孤女。
(『三国志』巻九、夏侯淵伝注引『魏略』)


多少時代が下る後漢末でも、夏侯淵がわが子を捨ててやはり亡弟の遺児である娘を生かしている。


これも夏侯淵がロリだとか異常な姪っ子萌えだとかそういう話ではなく、弟の祭祀を守ることができる子孫を絶やさないようにするという徳行なのだろう。



実父に捨てられた子やその子を産んだ母親などにとってはやりきれない話ではあるが。