ほかほか家族

東觀記曰「(劉)恭子男丁前妻物故、酺侮慢丁小妻、恭怒、閉酺馬廄、酺亡、夜詣彭城縣欲上書、恭遣從官倉頭曉令歸、數責之、乃自殺也。」
(『後漢書』列伝第四十、彭城靖王恭伝注引『東観漢記』)

昨日の記事で挙げた後漢の彭城靖王恭については、こんな話が伝わっていたらしい。



彭城靖王恭の息子の一人劉酺は兄弟であるところの劉丁の側室を侮辱したため、父の劉恭が怒って劉酺を馬小屋に閉じ込めて反省を促したのだそうだ。




まるでカツオ少年のいたづらに怒って物置に閉じ込める波平氏である。


この時代もこういうことをするものなのだなあ。






劉酺は馬小屋から脱出すると彭城県の役所に駆け込みこの件を訴え出ようとしたが、劉恭は自分の配下を使って連れ戻させ、厳しく叱責して我が子劉酺を自殺に追い込んだのだそうだ。




訴え出るということは劉恭の地位が危なくなるということなので、永遠に訴えられないように口を封じたのではなかろうか。



もしかして、子を馬小屋に閉じ込めるのは訴え出られると罰せられるような事なのだろうか?






途中まではほかほか家族っぽい話を紹介しようと思ってたのに結局は殺伐とするのが古代クオリティか・・・。