丙丁

(劉)恭立四十六年薨、子考王道嗣。元初五年、封道弟三人為郷侯、恭孫順為東安亭侯。
【注】
東觀記曰「丙為都郷侯、國為安郷侯、丁為魯陽郷侯。」
(『後漢書』列伝第四十、彭城靖王恭伝)

後漢の諸侯王、彭城靖王劉恭の子供は、後継ぎが「道」という名で、他の子は「丙」「国」「丁」「酺」といったそうな。




なんかネーミングがぞんざいな人が混ざっている気がする・・・。




もしかすると本名不明で仮に「丙さん」「丁さん」と呼んでいるだけなのかもしれないが。