水から心へ

應劭曰「慎水出東北、入淮。」師古曰「慎字本作滇、音真、後誤為慎耳。今猶有真丘・真陽縣、字並單作真、知其音不改也。闞駰云永平五年失印更刻、遂誤以『水』為『心』。」
(『漢書』巻二十八上、地理志上、汝南郡慎陽、注)

漢代の汝南郡には「慎陽」という県があったが、顔シコ先生によればそれは元々は「滇陽」といい、当時(唐代)に「真陽」と書いているのはその時の音に合わせているのだ、という。





なぜ「滇陽」が「慎陽」に変わったのかについて、シコ先生は「後漢永平5年に失われていた県令の印を作りなおした時、誤って偏を「水」ではなく「心」(りっしんべん)にして刻印してしまったためだ」という説を引いている。




そのためだけに印を作り直すのではなく、公式の地名の方を印に合わせて変更する方を選んだということか。