萬石君名奮、其父趙人也、姓石氏。趙亡、徙居温。
高祖東撃項籍、過河内、時奮年十五、為小吏、侍高祖。
高祖與語、愛其恭敬、問曰「若何有?」對曰「奮獨有母、不幸失明。家貧。有姉、能鼓琴。」高祖曰「若能從我乎?」曰「願盡力。」於是高祖召其姉為美人、以奮為中涓、受書謁、徙其家長安中戚里、以姉為美人故也。
(『史記』巻一百三、万石張叔列伝)
前漢初期、高祖の時に石奮という人物がいた。
彼は高祖劉邦が項羽と争っていた頃、15歳にして高祖の側に仕えていた。
高祖は彼のうやうやしい様子を「愛した」のだそうだ・・・。
あっ・・・(察し)
その後高祖は「ユー、家族は誰がいるの?」と聞き、姉がいると聞くやその姉を自分の側室に迎えたのだった。
まあ、石奮も美少年だったから姉も同様だと思ったんでしょうなあ・・・。