昨日の記事(http://d.hatena.ne.jp/T_S/20140104/1388765110)であるが、あの記事は単にアクセス数稼ぎというだけではなく、実は一つ大真面目に大事な件も含まれている、と私は思っている。
それは何か。
(董)賢亦性柔和便辟、善為媚以自固。毎賜洗沐、不肯出、常留中視醫藥。
(『漢書』巻九十三、佞幸伝、董賢)
董賢は休日を与えられても宮殿を出ようとせず、常に皇帝のそばで医薬を注視していた。
おそらくは毒見や分量管理などを任されたのであろう。
これは極めて大事なことである。
何故なら、哀帝の前の皇帝成帝は元気だったのに突如死亡しており、その時そばにいた側室趙昭儀が事件への関与を疑われ結果自殺するという事態となっている。
更にさかのぼれば、宣帝の最初の皇后許氏がトリカブトの毒で殺されたという事件も起きている。
成帝の件の真相は闇の中だが、つまり哀帝は皇帝であってもいつ何時どんな目に遭うか分からないという危険と隣り合わせだと認識していたということになるだろう。
それにこの時代の医薬品は元々毒と隣り合わせの存在。
「分量間違えちゃったテヘペロ」とか言われた時にはもう遅いのである。
宮殿内にも味方は少ない哀帝にとって、医薬品を厳重管理することは命がかかっていることなのだ。
それを任されたのが董賢だということは極めて興味深い事実と言えるのではなかろうか。
信頼できない人間には決して与えられない役目なのだから。
それを任せられるのは全てを知る(意味深)側近中の側近だけだったということなのか。
哀帝と彼の命を真剣に守ろうとする董賢の関係には、損得勘定だけではない何かがあるのかもしれない。