汚繰りびと

(夏侯)尚有愛妾嬖幸、寵奪適室。適室曹氏女也、故文帝遣人絞殺之。尚悲感、發病恍惚、既葬埋妾、不勝思見、復出視之。
(『三国志』巻九、夏侯尚伝)

前後愛妾死、既斂、輒不釘棺、置後空室中、數日一發視、或行淫穢、須其尸壊乃葬之。
(『晋書』巻三十八、平原王榦伝)

魏の宗室夏侯尚は文帝曹丕にオキニの側室を殺される心のバランスを崩し、その側室が埋葬された後にまた掘り返して側室を見たのだという。




晋の宗室(司馬師司馬昭と父母が同じ弟)の平原王司馬榦はオキニの側室が死ぬとその棺に釘を打たず、ちょくちょく開けてはその遺体とのセクロスに及んだという。





司馬榦の例から類推するに、夏侯尚も明記されていないけれど側室の遺体とのセクロスに及んでいたのではないかなあ。


当時の貴人の遺体の埋葬なら、おそらくそこまで簡単に腐敗しきらないようにされていただろうし。