普通の項羽ときれいな項羽

當是時、秦兵彊、常乘勝逐北、諸將莫利先入關。獨項羽怨秦破項梁軍、奮、願與沛公西入關。懐王諸老將皆曰「項羽為人僄悍猾賊。項羽嘗攻襄城、襄城無遺類、皆阬之、諸所過無不殘滅。且楚數進取、前陳王・項梁皆敗。不如更遣長者扶義而西、告諭秦父兄。秦父兄苦其主久矣、今誠得長者往、毋侵暴、宜可下。今項羽僄悍、今不可遣。獨沛公素𥶡大長者、可遣。」卒不許項羽、而遣沛公西略地、收陳王・項梁散卒。
(『史記』巻八、高祖本紀)

項梁前使項羽別攻襄城、襄城堅守不下。已拔、皆阬之。
(『史記』巻七、項羽本紀)


昨日の記事で述べた宋義と懐王の戦略の中では、何より重要なのは秦を攻める将である。




高祖本紀の内容を見る限り、項羽劉邦と共に秦を攻めることを願い出ていたという。





なんというかキン肉マンバッファローマンのタッグみたいな感じでこれはこれで見てみたかったが、懐王たちはそれを認めなかった。




それは何故か。


かつて項羽は固く守って降伏しなかった襄城を陥落させると、住民を穴埋めするという虐殺行為を行ったという。


秦を攻めることを心を攻めることとみなしていた懐王たちは、項羽に行かせると道中殺戮三昧になると思い、項羽の願いを却下して劉邦だけに行かせることとなった。



懐王らの戦略は秦を打倒するまでの時間も重要な要素であるから、殺戮三昧となったら行軍が遅れるということも懸念材料であったのだろう。





項羽は実は今までの行いのために一世一代の大チャンスを逃していた、というお話し。


項羽が「きれいな項羽」で、秦討伐軍に選ばれていたらその後の歴史はどうなっていたのだろうか。