延と廷

遣謁者竺次・期門甘廷壽為副、送馮夫人。
(『漢書』巻九十六下、西域伝下)


ここに「期門甘廷寿」なる人物が登場している。


期門とはのちの虎賁であり、いわば皇帝のエリート護衛兵である。





で、この人物は実はこの人のことだろう。

甘延壽字君況、北地郁郅人也。少以良家子善騎射為羽林、投石拔距絶於等倫、嘗超踰羽林亭樓、由是遷為郎。試弁、為期門、以材力愛幸。稍遷至遼東太守、免官。車騎將軍許嘉薦延壽為郎中諫大夫、使西域都護騎都尉、與副校尉陳湯共誅斬郅支單于、封義成侯。
(『漢書』巻七十、甘延寿伝)

西域都護となって郅支単于を倒した甘延寿。


確かに同時期と思われる頃に期門になっている。



西域伝は「延」と「廷」が誤って伝わっているのだと思われる。




甘延寿伝を見ても期門時代のことは特に書かれていないが、西域伝にあるようにその頃から西域に派遣されるという経験があったからこそ西域都護の適任者と思われたのではないだろうか。