都尉と太守

前漢の郡都尉の治所(役所)は、どうやら必ず太守の治所とは別のところに置かれていたようだ。



おそらくだが、反乱や外敵の奇襲などがあった時に郡を総括する立場の太守と都尉が一網打尽になるのを回避しようというのが最大の目的だったんじゃないだろうか。

もちろん、太守が反乱しても都尉が、都尉が反乱しても太守が残るように、というのもあったかもしれない。




文書事務の効率だけ考えたら同じ県に置いた方がいいわけだが、リスク管理は効率では決められないということなんだろう、きっと。




なお後漢は都尉を原則廃止した。究極の効率化と言えよう。