http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130524/1369323901の続き。
今回は2010年下半期。
三国時代の「正統王朝」について語ってみた。
もちろん、あくまで私論である。
「魏が正統王朝である」と盲目的に思い込むのは当時の認識と本当に一致していたのか、について疑問を投げかけるという目的を読み取ってもらえれば幸いである。
死に際の曹操がわりとアレだったことを指摘してみた。
国が二つに割れたかもしれないくらいのアレ。
三国呉と遼東の間の海路、そして魏が制海権を喪失していた件について、臧覇につなげてみた。
父に逆らい国を割る不満分子としての孫登。
孫登が生きていたら「二宮の変」は無かった、ではなく、孫登が「二宮の変」の原因のひとつだった、と評価を逆転させてみる試み。
成功しているかは知らない。
ツイッターで無視された*1なら、ブログにも書けばいいじゃない!
馬が虎に見える。これがトラウマの語源であることは言うまでもない(民明書房)。
同じ人物が「許生」だったり「許昌」だったりしているのも理由があったのではないかという話。
調べながらこういうことを考えている時はとても楽しい。
おあとがよろしいようで
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20101221/1292859616
前漢末の馬宮のことを話題にしておきながら、中身は孫登のアレなところを暴き立てるという内容。
たまにこういう意識の外からの攻撃を仕掛けることがある。
なんだか今回は三国志関係ばっかりだな・・・。
*1:たまによくある。