予言改竄

漢元・成之世、先識之士有言曰「魏年有和、當有開石於西三千餘里、繋五馬、文曰討曹。」
及魏之初興也、張掖刪丹縣金山柳谷有石生焉、周圍七尋、中高一仞、蒼質素章、有五馬・麟・鹿・鳳皇・仙人之象。始見於建安、形成於黄初、文備於太和。
至青龍三年、柳谷之玄川溢涌、石形改易、状似雲龜、廣一丈六尺、長一丈七尺一寸、圍五丈八寸、立于川西。有石馬十二、其一仙人騎之、其一覊靽、其五有形而不善成、其五成形。又有一牛八卦列宿彗星之象。有玉匣開蓋於前、有玉玦二、玉璜一。又有麒麟・鳳皇・白虎・馬・牛於中布列。有文字曰「上上三天王述大會討大曹金但取之金立中大金馬一疋中正大吉關壽此馬甲寅述水」凡三十五字。石色蒼、而物形及字、並白石書之、皆隆起。
魏明帝惡其文有「討曹」鑿去為「計」、以蒼石塞之、宿昔而白石滿焉。當時稱為祥瑞、班下天下。處士張臶曰「夫神兆未然、不追往事、此蓋將來之休徴、當今之怪異也。」既而晉以司馬氏受禪。
(『宋書』巻二十七、符瑞志上)

前漢の頃に「魏の年に三千里西の方で石が開き、馬五頭が繋がれていて「曹を討つ」と書かれている」という預言をする人間がいたそうな。


で、曹操の魏が勃興する頃になって張掖郡の方で石に馬や鳳凰などの模様が浮かび上がり、明帝の青龍三年になると石の馬12体その他の石像等が発見され、「上上三天王述大會討大曹金但取之金立中大金馬一疋中正大吉關壽此馬甲寅述水」という謎の文字が記されていたという。


そこに刻まれている「討大曹」を嫌った明帝は「討」の字を一部削って「計」に変えてしまった上で、これらを魏王朝にとっての「瑞祥」であるとして発表した。




しかしこれは本当は司馬氏が魏を倒すという未来を予言したものだったんですよ!残念!さやかちゃんでした!というお話。