西南夷

是歲、甘露仍降、樹枝内附、芝草生殿前、神雀五色翔集京師。西南夷哀牢・儋耳・僬僥・槃木・白狼・動黏諸種、前後慕義貢獻、西域諸國遣子入侍。
(『後漢書』本紀第二、明帝紀、永平十七年)


後漢明帝の時に漢にたいし貢ぎ物を差し出してきた西南夷の「儋耳」というのは、もしかして今の海南島にあった「儋耳郡」にいた者たちなのだろうか。



もちろん「儋耳郡」は地名なので、西南夷の「儋耳」種がそこにいたとは限らないが。




其地大較在會稽東冶之東、與朱崖・儋耳相近、故其法俗多同。
(『後漢書』列伝第七十五、東夷列伝、倭)


ちなみに「儋耳郡」原住民と倭の習俗は似ているという話があったそうな。

倭は東夷なのか西南夷なのか。