人の死を悼む鸚哥

歳餘、順帝即位、樊豐・周廣等誅死、震門生虞放・陳翼詣闕追訟震事。朝廷咸稱其忠、乃下詔除二子為郎、贈錢百萬、以禮改葬於華陰潼亭、遠近畢至。先葬十餘日、有大鳥高丈餘、集震喪前、俯仰悲鳴、涙下霑地、葬畢、乃飛去。郡以状上。
時連有灾異、帝感震之枉、乃下詔策曰「故太尉震、正直是與、俾匡時政、而青蠅點素、同茲在藩。上天降威、灾眚屢作、爾卜爾筮、惟震之故。朕之不徳、用彰厥咎、山崩棟折、我其危哉!今使太守丞以中牢具祠、魂而有靈、儻其歆享。」
於是時人立石鳥象於其墓所
【注】
漢書曰「大鳥來止亭樹、下地安行到柩前、正立低頭涙出。衆人更共摩撫抱持、終不驚駭。」謝承書曰「其鳥五色、高丈餘、兩翼長二丈三尺、人莫知其名也。」
(『後漢書』列伝第四十四、楊震伝)

讒言による冤罪で自殺に追い込まれたとされる後漢の大臣楊震


彼の名誉回復がなされて正式に埋葬されることとなったとき、巨大な五色の鳥がやってきて人間たちと一緒に泣き声をあげたという。




その鳥の名を誰も知らなかったという記述があるが、これは巨大なインコですね。間違いない。

楊震が飼っていたに違いない。