孔丘先生の外見

夫子適周見萇弘、言終而退。萇弘語劉文公曰、吾觀孔仲尼有聖人之表、其状河目而隆顙、黄帝之形貌也。修肱而龜背、其長九尺有六寸、成湯之容體也。然言稱先王、躬履謙讓、洽聞強記、博物不窮、抑亦聖人之興者乎。劉子曰、方今周室衰微而諸侯力爭、孔丘布衣、聖將安施。萇弘曰、堯舜文武之道、或弛而墜、禮樂崩喪、亦正其統紀而巳矣。既而夫子聞之曰、吾豈敢哉、亦好禮樂者也。
(『孔叢子』嘉言)


『孔叢子』冒頭の一文。



周の萇弘という人は孔子こと孔丘先生と対面し、その時のことを劉文公という人に話した。




それによれば、孔丘先生はホリが深くて広い目、隆起した額を持ち、これは黄帝のような容貌なのだという。

更に、長い二の腕と凄まじい背面の隆り、そして九尺六寸(周の尺で考えると身長216cm)の巨体であり、これは湯王のような外見なのだという。

それでいて偉大な先王のことを語り、謙譲の美徳を備え、博覧強記という聖人にふさわしい人格を備えているのだそうだ。


劉文公は「この周が衰微して諸侯があらそうイカレタ時代に一般人でしかない先生はその聖人の資質をどう生かせるというのだろうな?」と言ったが、萇弘は「失われた聖王の正しい道や礼楽を復興するのみでしょう」と応じた。



そんなことを言われていたことを伝え聞いた先生は「私なんかにそんなことができようか。礼楽を好む者ではあるけれど」と言ったという。





孔丘先生の子孫が書いたとされるだけに、ある意味先生を最高級に褒め称えるアヤシイエピソードではあるが、かつての聖人たちがこぞって化け物のような容貌であったと伝えられていることや、先生が筋骨隆々の進撃の巨人であったとされていることなどが分かって興味深い。




っていうか先生身長216cmで異常に隆起する背面とかそれどこの範馬勇次郎ですか・・・。