御史の真実

上使尚書劾奏章「知(馮)野王前以王舅出補吏、而私薦之、欲令在朝阿附諸侯。又知張美人體御至尊、而妄稱引羌胡殺子蕩腸、非所宜言。」遂下(王)章吏。
(『漢書』巻九十八、元后伝)

臣聞許美人及故中宮史曹宮皆御幸孝成皇帝、産子、子隠不見。
(『漢書』巻九十七下、孝成趙皇后伝)

長沙定王發、發之母唐姫、故程姫侍者。景帝召程姫、程姫有所辟、不願進、而飾侍者唐兒使夜進。上醉不知、以為程姫而幸之、遂有身。已乃覺非程姫也。及生子、因命曰發。
【注】
索隱、姚氏按、釋名云「天子諸侯羣妾以次進御、有月事者止不御、更不口説、故以丹注面目旳旳為識、令女史見之」。王察神女賦以為「脫袿裳、免簪笄、施玄旳、結羽釵」。旳即釋名所云也。說文云「姅、女污也」。漢津云「見姅變、不得侍祠」。姅音半。
(『史記』巻五十九、五宗世家)

どうやら、古代において皇帝が寵姫とセクロスすることを「体御」「御幸」「御」などと言ったらしい。


「御」という字にはそういう意味があったようだ。







ところで、古代の官僚制度の中に、君主の側近であったという「御史」という官職がある。



これが「御された史」を意味するとしたら・・・あっ(察し)




もう、「侍御史」とか「繍衣直指御史」とか、そういう意味にしか思えなくなってしまったじゃないか!!