衛士

(蓋)𥶡饒初拜為司馬、未出殿門、斷其襌衣、令短離地、冠大冠、帶長劍、躬案行士卒廬室、視其飲食居處、有疾病者身自撫循臨問、加致醫藥、遇之甚有恩。及歳盡交代、上臨饗罷衞卒、衞卒數千人皆叩頭自請、願復留共更一年、以報𥶡饒厚徳。
(『漢書』巻七十七、蓋𥶡饒伝)

前漢宣帝の時の儒者蓋𥶡饒は、諫大夫から左遷されて衛司馬にされた。



衛司馬は宮殿の衛士の管理職なのだが、蓋𥶡饒は衛士たちの宿舎を自ら見回ったり、病人を見舞ったり薬を与えてやったりしたそうだ。



衛士たちは彼に恩義を感じ、一年経って交替の時に皇帝主催のお別れ会が開かれると、衛士たちは任務を一年延長して蓋𥶡饒の恩に報いたい、と申し出たという。




当時の宮殿の衛士たちは一年交替だったこと、およびその交替の際には皇帝自らが饗応する宴会が開かれて彼らの労をねぎらっていたことが分かる。

当時の皇帝は意外と一般の人々にも近い距離にいたのかもしれない。