(陳)湯曰「夫胡兵五而當漢兵一、何者?兵刃朴鈍、弓弩不利。今聞頗得漢巧、然猶三而當一。・・・
(『漢書』巻七十、陳湯伝)
前漢の時代、西域で独断専行で功を立てて干された陳湯は西域都護段会宗が西域の民である烏孫に包囲された時に皇帝の諮問を受けた。
その際の一節である。
「(西域の)胡の兵は五人で漢の兵一人に当たりますが、これは何故でしょうか。
武器の切っ先はなまくらで、飛び道具の鏃も鋭利ではないからです。
今は漢の武器の技術を多少は得たと聞きますが、それでもなお三人で漢の一人に当たっています」
つまり、武器の性能が格段に違っており、漢の兵士一人に五人でかからないと勝てなかった、ということのようだ。
ステルス機とミグ21くらいの差だろうか。