博士のポスト

九月、奉使者不稱。
詔曰「古之立太學、將以傳先王之業、流化於天下也。儒林之官、四海淵原、宜皆明於古今、温故知新、通達國體、故謂之博士。否則學者無述焉、為下所輕、非所以尊道徳也。『工欲善其事,必先利其器。』丞相・御史其與中二千石・二千石雜舉可充博士位者、使卓然可觀。」
(『漢書』)


前漢成帝の時代のこと。



各地を巡行して皇帝のありがたいお言葉を伝えたり皇帝の代理として視察したりする使者たちが、皇帝の意に沿わなかった。



そこで、皇帝はこんな詔を出した。



「古の時代に太学を立てたのは偉大な王たちの業績を天下に伝えて世の中を啓蒙するためである。それゆえ儒者の官というのは古今に通じた者でなくてはならない。だからこそ「博士」というのである。そうでなければ学問は伝えられることもなく、下々に軽んじられてしまい、道徳を尊ぶことにはならないであろう。「職人がいい仕事をしようと思ったら、先に道具の手入れをする」という。丞相・御史大夫は中二千石・二千石と共に博士にふさわしい卓越した見識を持つ者を推挙せよ」




これはなかなか面白い話だ。



当時の「博士」が単に学術の官としてではなく、皇帝の意を受けて天下を教化するといった役割を期待されていたらしい、という点。




それと、この詔が実行されたとしたら、この時に一度「博士」の陣容はガラリと入れ替わった可能性があるという点も指摘しておきたい。
当時の丞相や大臣たちが気に入った人物が選ばれたであろうからだ。



当時の丞相といえばこの時代の論語学者として高名だったという張禹なので、彼に近しい者が博士に採用されて一大学閥を形成した・・・なんてことはないか。