兄嫁への憎しみ

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これを読んで、ふと漢の高祖劉邦のこれを思い出した。

高祖兄弟四人、長兄伯、伯蚤卒。始高祖微時、嘗辟事、時時與賓客過巨嫂食、嫂厭叔、叔與客來、嫂詳為羹盡、櫟釜、賓客以故去。已而視釜中尚有羹、高祖由此怨其嫂。
及高祖為帝、封昆弟、而伯子獨不得封。太上皇以為言、高祖曰「某非忘封之也、為其母不長者耳。」於是乃封其子信為羹頡侯。而王次兄仲於代。
(『史記』巻五十、楚元王世家)

高祖はかつて賓客に兄嫁のところの食事を食べさせようとしたが、兄嫁はあつものが空っぽになっていると見せかけた。

高祖は兄嫁のその行為を恨んでおり、天下を取ってからもその兄嫁の子には領地をやらず、父のとりなしでやっと「あつものを減らした」というあてこすりとしか思えない名前の爵位を与えたという。




この話を見て「高祖大人げなさすぎ」という意見もあるだろう。
だが、このあたりの時代の人間にとって賓客に食をふるまおうとしたのを邪魔されたというのはメンツをつぶされることこの上ないと思われるので、兄嫁の行為は高祖にとっては最大級の敵対行為だったのではないか。


とすれば、高祖の甥に対する処遇は怨みある人間の子に対してむしろ寛大なくらいだろう。漢代だけに。