項羽の親族は項羽死後も誅殺されず、漢王すなわち高祖劉邦は項羽の叔父項伯らを列侯とし、彼らには劉氏の姓を賜ったという。
兵初起、與諸侯共撃秦、為楚左令尹。漢王與項有隙於鴻門、纏解難、以破羽降漢、侯。
(『漢書』巻十六、高恵高后文功臣表、射陽侯劉纏)
漢六年以碭郡長初從、功比軑侯、侯、五百八十戸。實項氏、賜姓。
(『漢書』巻十六、高恵高后文功臣表、平皋煬侯劉它)
以客從、漢王二年起定陶、以大謁者撃布、侯、千戸。為淮南太守。項氏親。
(『漢書』巻十六、高恵高后文功臣表、桃安侯劉襄)
正体不明の玄武侯以外について調べてみると、ちょっと面白い事が分かる。
項伯(劉纏)は項羽が破れてから降伏したと明記してあり、項它(劉它)も項羽が滅んでから初めて漢についたことがわかる*1。
その一方、劉襄は楚と漢が争っている最中に漢に仕えていたと記されているので、彼は項羽が滅ぶ前から劉邦の元にいて、項羽からの降将としてではなく劉邦の臣下として出世して侯になったと言えそうである。
どちらも項羽の親族であったことも劉氏の姓を貰ったことも事実なんだろうが、その内実はそれぞれ違っていたようだ。